Profile
(大阪北ブロック/北第三支部 2017年入会)
(大阪北ブロック/北第三支部 2024年入会)
おりーぶ庵(株) 取締役会長 / 代表取締役
畠 博思 / 高崎 忍
所在地:大阪府大阪市西淀川区姫島2-4-10-2F /
URL:https://www.olive-an.com
設立:2014年11月 / 資本金:650万円 /
年商:1億7,455万円(2025年度)
社員数:62名 / 事業内容:障害者福祉事業(共同生活援助)
職員が代表の例会報告を見に来てくれる、そして「面白くない」とダメ出ししてくれる。なかなか珍しい状況だと思いませんか?畠さんと高崎さんが現在代表を務めるおりーぶ庵株式会社(以下、おりーぶ庵)ではそんなことが日常的にあるそうです。気の置けない関係はどのように築かれてきたのでしょうか。
創業から畠さんの代表就任まで
おりーぶ庵は某大手電鉄会社の子会社として2014年に立ち上げられた障害福祉事業でした。畠さんは創業者からの依頼でアドバイザーとして参加。事業は共同生活援助(通称グループホーム)を中心に始まりました。畠さん自身が長年重度障害者支援に関わってきたこともあり、利用者も自然と重度の方が多くなっていきました。重度障害者支援にはどうしても時間がかかります。一人の利用者が新しい環境に定着するのに1、2年かかることも珍しくありません。しかも当時は無資格の職員も多く、現場教育にも時間がかかりました。このため事業にスピード感を出すことは困難で、これが親会社の意向に沿わず、創業2年後には事業切り離しの判断が下されてしまいました。
このとき、前任者から畠さんへ事業引き取りの相談が持ちかけられました。畠さん自身は独立して経営者になるつもりがなかったため、断ってもおかしくない状況でした。しかし、このまま放ってはおけないという思いが勝りました。2016年、畠さんは正式におりーぶ庵の代表に就任しました。

左から会社パンフレット、理念手帳、障がい者雇用サテライトオフィスパンフレット
承継直後の苦難
承継直後はグループホームの拠点数を二つから三つに増やすことを念頭にすすめましたが、苦難の時期が続きました。畠さんは、福祉現場の経験は豊富でも、経営経験はほとんどありませんでした。資金繰りや財務管理の知識も十分ではなく「個人のお金と会社のお金が一緒みたいな感覚になっていってしまった」と振り返ります。障害福祉事業は、国からの給付金が定期的に入る仕組みになっています。しかし、入出金の管理ができなければ経営は成り立ちません。承継から1年も経たないうちに、自転車操業へ追い込まれていきました。「もう終わるしかない」という思いが去来し、駅のホームで走る電車を見ながら、立ち尽くしていたこともあったほどでした。現場へ行けば利用者と普通に接し、支援もできるものの、お金のやりくりがどうにもうまくいかず、精神的にも極限状態でした。
社内の人間関係
そんなとき、会社を支えたのは職員たちでした。現在共同で代表を務めている高崎さんをはじめ、初期からの職員たちは畠さんを支え続けました。「社長は誰のために仕事をしているんですか?」「福祉って何だと思っているんですか?利用者だけじゃなくて関係者含めてうまくいくことじゃないんですか?」そんな問いを真正面から投げかけられたこともあるそうです。厳しい言葉もありました。しかし、それはなんとか事業を維持したいという思いの裏返しでもあったと思われます。
人が良く、まっすぐな畠さん。以前は、営業トークを信じて現状に合わない契約を結んでしまうことも少なくありませんでした。「はんこを押すのが好きな社長」と社内で冗談交じりに言われるほどだったそうです。しかし現在は、社内会議を通じて複数人で意思決定を行う体制ができています。「畠さんが暴走しそうになったら止める」ということで、畠さんにとってはプレッシャーがかかると同時に頼もしいチームと言えるのではないでしょうか。
同友会との出会い
大きな転機となったのが、中小企業家同友会との出会いでした。経営指針確立・実践セミナー(指針セミナー)へ参加したことで、経営者仲間とのつながりが生まれ、銀行融資の考え方・経営計画の立て方・財務の基本といった、それまで曖昧になっていた経営というものを、一つひとつ学び始めました。同時に、同友会を通じて多くの会員企業とのネットワークも広がっていきました。社内システム・保険・労務・施設工事・清掃など、現在のおりーぶ庵を支える多くの機能が、同友会のつながりによって支えられています。「とにかく、人に助けてもらってきた会社なんです」。そう畠さんは語ります。
自走する会社へ。事業承継の挑戦
また、おりーぶ庵では自立した組織づくりを重視しています。畠さんは「百年続く会社をつくりたい」と繰り返し語ってきました。そのためには、社長一人が指示を出し続ける組織では限界があると考えているそうです。自分がいなくなっても回る会社にしなければならないという思いから、早い段階から事業承継を意識してきました。
具体的な動きとして、4年前(2022年)には20代社員への承継にも挑戦しました。しかし「見て覚えてくれ」という従来型の任せ方ではうまくいかず、組織は混乱したそうです。「承継は急にできるものではない。普段から意識して、育てていかなければならない」。その経験は畠さんにとって大きな学びとなりました。

経営理念
業績改善への分岐点
3年前(2023年)には、さらに大きな分岐点が訪れました。知人の紹介で出会ったコンサルタントから障害福祉制度の加算取得体制の見直しを提案されました。障害福祉事業には職員配置や資格体制などによる加算制度が存在します。しかし、当時のおりーぶ庵はその加算を十分に取得できていませんでした。体制を整えた結果、それまで7,000万円から8,000万円規模だった売上は1億2,000万円規模まで成長。長年苦しんだ経営は一気に改善へ向かいました。
経営が安定し始めると、畠さんは利益をどう使うかを考えるようになりました。古い施設の修繕、消防法対応、人材採用、教育体制整備。以前は手が回らなかった投資にも取り組めるようになりました。
難病発覚と事業承継への注力
2年前(2024年)には畠さん自身に難病が二つ見つかりました。「危ないかもしれないと思った」。そう率直に語る畠さん。その経験が事業承継への意識をさらに強くしました。現在は社内での分担と承継を本格的にすすめています。
また、オンライン会議やクラウド管理なども整備され、海外に長期滞在していても会社運営ができる体制を築きました。実際に数か月単位で海外へ滞在した際も、会社は問題なく回ったと言います。「自分がいる方が邪魔になるくらいが理想」。そう笑う姿からは、社員への信頼が伝わってきます。
高崎さんの視点
高崎さんは長年職員の一人としておりーぶ庵に関わってきた上で、現在は代表取締役を務めています。幾度の経営危機にあっても、畠さんと会社を共につくる立場として支え続けてきました。その背景には「利用者の生活を止めるわけにはいかない」「職員も利用者も守れる会社にしたい」という思いがあります。利用者だけでなく、会社も地域も含めて互いに支えあえる関係をめざす行動が、おりーぶ庵の組織としての土台となっています。
畠さんの難病発覚が契機となり、高崎さんは2024年に同友会に入会しました。畠さんが同友会で見聞きしているものを共有しやすくなるとともに、代表だったらどう考えるかという意識付けもできてきたと言います。
大阪わかそうとの関わり
おりーぶ庵は大阪わかそう2025の企業展に出展しました。畠さんは出展機会を単なる販路開拓ではなく「会社の価値を第三者に評価してもらう場」と位置付けています。学生や他社からの客観的な評価が得られることを職員へ丁寧に説明し、特に学生から見て入りたい会社と映るかどうかに焦点を絞りました。職員が中心となってSNS運営やブースの飾り付け、当日の説明対応などに取り組んだ結果、来場者アンケートで上位の評価を得ることができました。
現在の福祉業界は、専門性が高いためかPR力に長けた会社の数が限られており、そのような会社が一人勝ちする状況となっています。そこに携わる職員にとっても、人を引きつける面白さは重要な要素となっています。代表の経営報告に対してまず面白さを求める姿勢にも頷けます。
大阪わかそう2026の企業展についても出展を決めています。出展には大きな労力がかかるため、出展するかどうかを社内で改めて話し合いました。外部との接点を持ち続けることが重要だという思いから今年も挑戦することを決断しました。畠さんは憲章・政策委員としても大阪わかそう2026に参加しており、イベント全体の運営にも貢献しています。

展示ブース
今後に向けて
現在のおりーぶ庵では、国の制度だけに依存しない経営をめざし黒にんにく事業にも挑戦しています。障害者雇用の受け皿づくりにもつながり、現在では8名の障害者が企業就労しています。
さらに、人材採用でも変化が起きています。働いている人が、人を連れてきてくれるようになりました。以前のような深刻な人手不足ではなくなり、組織としての安定感も増してきています。畠さんは「会社は人で成り立っている」と何度も口にします。
同友会での学び、仲間とのつながり、社員との対話、地域との関係性、そのすべてがおりーぶ庵を支えてきました。障害福祉という、人の暮らしを支える仕事。その現場で培われた支え合う力は、会社経営そのものにも生かされていました。苦しい時代を、多くの人とのつながりで乗り越えてきたおりーぶ庵。そこには「経営とは一人で抱えるものではない」ということが体現されているように思われます。
〈取材:山田・松本・岡坂/文:岡坂/写真:岡坂〉