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Osaka Doyu-Kai

vol.2

「 一人ひとりが輝く未来を切り拓く企業」

自然な味を感じられる時間、 誰かの隣で笑いながら食べられる時間を届ける。 ~なんや、私がやったらいいんや~

Profile

中河内ブロック / 八尾支部 / 2023年度入会

ほっとまるちゃん 代表

岡本 霞

所在地:大阪府八尾市弓削町南2-78-14 / URL:https://hotmaruchan.com
設立:2022年 / 主メンバー:12人(ボランティアスタッフ含む) / 年商:500万~600万円
事業内容:地元産物を使った乳幼児向け米粉パンなどの商品開発・製造・販売セミナー、ママのお困り事からこんなものあったらいいのに!を製造販売(ECサイト・イベント・生協にて販売)

ココロとカラダを元気にする、頼れる「食」をいつも近くに。

創業の理由・経緯

 八尾に生まれ、高校を卒業する18歳まで暮らしていた岡本さん。

 

 小、中学生時代は荒れていて問題児だった岡本さんを涙を流しながら抱きしめて理解してくれた先生との出会いによって救われ、変わることができたそうです。「出会いを通じて人は変わる」という経験から「これから出会う人の人生を良くしたい」という気持ちがこのころ芽生えます。

 

 発展途上国の貧困層の人たちを支援するために将来海外で働きたい、そのためには日本ではなくアメリカの大学に進学する必要があると考え、留学することを決心します。

 

 大学では政治学、国際関係学、宗教学を学びました。世界の社会問題(貧困、飢餓、環境など)の解決に取り組む非営利の非政府組織NGOで働きたい。しかし、そこで働くには3~5年の社会経験が必要と知ります。

 

 卒業後、帰国して社会経験を積むために、たくさんのNGOの本部が集まる東京で金属加工の会社に就職しました。上司に恵まれ仕事も楽しくやりがいがあり「出会いによって人は成長する」ということを感じる毎日を過ごします。

 

 29歳の時に結婚。しかし、夫は諸事情あって無職になり、妊娠からの体調不良で自身も仕事ができなくなります。切迫早産のため、入院生活を余儀なくされ終日ベットで身動きがとれない状態が約2カ月、投薬の日々が続きます。

 

 薬に対して自分の体が拒否反応を起こしているのです。しかし、医師は患者の声を聴く耳を持ってくれません。このころ、岡本さんは医療や薬に対して疑問を抱くようになりました。

 

 働けないことによる経済的な不安、無事に出産できる のかという不安があり、精神的に追い込まれ明日がくる のが怖いという気持ちを抱くまでになります。

 

 しかし、そんな時に脳裏に浮かんできたのは発展途上 国のお母さんたちのことでした。彼女たちはもっと過酷 な状況のなか、出産や子育てを行っているんじゃないの か? 私は恵まれているのではないのか? 私にできることとは何なのか?自問自答の末、無事に出産できたら、 困っている人を助けるために起業しようと決意します。その後、無事出産し故郷の大阪に戻り新生活がスタート しました。

 

 実は岡本さんが「食」に関心を持ったのは、祖母の認知症がきっかけでした。病院で認知症患者が手足を拘束 されたり、暴れないように投薬されたりすることがある事実を知りショックを受けます。調べてみると認知症は食と密接に関わっていることがわかりました。

 

 自分自身も添加物を避ける、野菜を多く食べるなど健康的な食事を実践してみたら驚くほど体調が良くなったこともありました。体は食べたものでできていることを 改めて実感します。

 

 乳幼児を育てる母として、選ぶ「食の品質」で子ども たちの人生は変わる。子どもたちには良いものを食べさ せてあげたいという思いが強くなり、食品の成分表示を 見て納得のいくものを買うようになりました。

 

 そんな時、1歳の長女が 通う保育園の給食の原材料表示を見て、多くの食品添加物が含まれていることを知りショックを受けました。発色剤入りの加工肉や化学調味料が使われているのです。「給食を変えよう」と決意します。

 

 給食を変えるのは行政の仕事だと考えていました。そこで、議員さん、市役所の担当者、市長さん、教育委員 会や園長先生のところに「市の政策として、官民連携で地産地消自然給食を作っていく提案書」を持っていきま した。そこで言われたのは「自分でやったらええやん」 という言葉でした。

 

 オーガニック食品にした方がよいのは皆理解していますが、現状、給食で目に見える問題が出ていないことやコストが掛かるイメージなどの問題でなかなか話は進みません。それは遠回しに断られるときの言葉だったので すが、持前のポジティブ志向で「自分でやったらいいん や!」「面白そう!」と受け取ったのです。

 

 「休耕地がたくさんあるんだから、自分たちで作ったらいいんや」。そう考え岡本さんは活動を始めました。

 

 

荒れ果てた休耕地を開墾

 岡本さんの取材のために取材班が向かったのは柏原市の山深く。車が1台やっと通れる広さの道路を上っていきました。本当にこの先に目的地はあるのかと不安になるほどです。畑まではさらに道が狭くなるということで集合場所から岡本さんの軽ワゴンに皆で乗り案内されたのは雁多尾畑(かりんどおばた)という村の山間にある畑でした。

 

 「笹やぶを開墾して畑にした」と軽く言う岡本さん。

 

 ここが始まりの地。地主さんと共にスタートしたのが2021年。荒れた状態の畑を整備し作物の種をまくまで半年間は必要だったと言います。よそ者が来たということで当初は近隣の人たちからあいさつも返してもらえなかったそうです。

 

 やっとの思いで開墾し、作り育ってきた作物でしたが、ある日イノシシの被害を受け全滅します。自分で納得のいく方法で畑を始めたものの、幾多の試練に心折れそうになることもあったと言います。それでも自分の中にある「給食の品質を良くしたい」という思いで岡本さんは行動を続けています。

 

 

事業の広がり

 「休耕地から巻き起こす夢づくりプロジェクト」、通称【ゆめプロ】という活動を2021年秋に立ち上げました。(現在NPO法人設立中)

 

 柏原市と八尾市で3カ所の休耕地を畑に再生し、農薬や化学肥料を使わない農作物を地域の給食に届けています。主に作っているのは玉ねぎ、ジャガイモ、人参で、栽培や貯蔵がしやすく年間を通して皆が良く口にするものです。

 

 運営や農作業にはしっかり関わるメンバーとしてボランティアスタッフを含めた12人、それ以外にLINEグループに入って活動に参加してくれるメンバーが140人ほどいます。

 

 インスタなどでの発信をしっかり行っており、思わぬところから反響を得て協力者になっていただくこともあるそうです。

 

 

資金難から食品ブランドたちあげ

 事業をすすめていくうえでさまざまな壁がありますが、一番大きいのは資金難でした。

 

 それまで給食で扱われるジャガイモは1kg80円程度、無農薬や地産地消をうたった作物でもコストが高いと見向きもされません。実績を作るためには同じ価格で取引をせざるをえない状況でした。やればやるほど赤字が出る。それを解消するための取り組みが食品ブランド「ほっとまるちゃん」です。

 

 お米と野菜とお豆でできた「ほっとまるちゃんまめぱん」。砂糖や小麦、卵、乳製品、添加物を使用していないことが特徴です。小麦アレルギーをお持ちの方にも喜んでいただいています。実はこのパンの誕生には岡本さん自身の経験が影響しています。長女が母乳を卒業して離乳食になりパンが大好きになったそうです。1日50回以上は「パン!パン!」と言うようになりました。栄養価を心配しながらパンを与える罪悪感からパンノイローゼになった岡本さんにとって、パンの手軽さを残したまま、お米や野菜、たんぱく質もとれるパンはまさに自分が欲しい商品でした。

 

 パンの製造には、障害のある人に賃金をお支払いし、自立支援につなげてもらいながら携わっていただいています。

 

 他には、野菜を粉末にした「べジコ」。形がいびつであるなどの理由で市場で売ることができないB級品の無農薬栽培の野菜を買い取り、粉状にしています。さっと使えて栄養を手軽にとれる商品です。

 

 

活動の継続のために

 ビジョンに共感していただいたうえで給食用の野菜を一緒に作る会員を募集しています。

 

 「ゆめプロ畑会員」は月2,000円で月2回の農業講座を受けられます。一緒に畑で農作業もできるし、講座はオンライン参加も可能です。

 

 「まめぱん支援会員」は月5,000円で毎月まめぱんなどの商品を受け取ることができます。

 

 「ゆめプロ生産コラボ会員」は月10,000円で畑での農作業を一緒にしていただき、生産物を給食に届ける時に名前を一緒に記載してアピールできたり、野菜を安く買えたりするサービスです。

 

 地域の個人や会社に応援してもらい、成功事例がうまれたら他の地域へも展開できると考えています。活動を全国に広げていくことが目標です。

 

 

今後として

 人みしり、引っ込み思案であった岡本さんがこれまで活動を広げてくることができたのは人との出会いに恵まれてきたからです。「人は変われる」という思いを胸に行動を続け、発信し続けることで共感してくれる人を増やし世の中を良くしていきたいと思っています。

 

 「将来は、ゆめプロ給食会社を設立し、子どもたちの健全な成長のために、安心安全な給食を届けることが目的」と二児の母である岡本さんは明るく話します。

 

(取材:佐藤、赤坂、上田/文:上田/写真:赤坂)