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Osaka Doyu-Kai

vol.2

オンライン配信・第11分科会/大阪「 ビジョンの実践」

チャレンジを続けたことで見えた私のビジョン
~しなやかに。そして強靭に。~

Profile

大阪東ブロック/大東四條畷支部

株式会社三住建設 代表取締役社長

有田 三千子

所在地:大阪府大東市曙町2番6号 URL:https://misumi.net
設 立:1967年 / 社員数:11名 / 年 商:580,000千円(2024年3月期)
事業内容:【建築工事】新築工事・増改築工事・設備工事・補修工事・鉄筋コンクリート造・鉄骨造・在来木造
【土木工事】【解体工事】【不動産業】

建築の知と技で 人と地域の 楽しい未来を創造します

承継のいきさつ 社員から、突然の社長就任

長年やってきた社会人バスケを引退したタイミングで、父から「自社へ来ないか」と声がかかったそうです。普通なら悩みますが、流れに身を任せてみたくなってすんなり転職しました。経理係として半年が経過したころ、父が「現場に行こう」と言いました。内心、現場なんて興味ないんだけどなと思いつつも付いていくと、そこは住宅の基礎工事をしている現場でした。コンクリートを見つめて父が言いました。

「建築屋の仕事は人の命と財産を守る仕事だ。そのためには基礎が大事なんや」。その瞬間時間が止まり、情景が目に焼き付いたといいます。父の真剣な眼差しが、三千子さんに過去を想起させたのです。日々の暮らしも、勉強も、バスケも、自分一人で頑張ってきたわけじゃないんだ、お父さんの建築の仕事があって、その上で自分が生活してこられたのだと心に刻まれました。

 

 

2010年に兄が事業承継して社長となり、会社のかじ取りをしていたのですが、2012年に突如その兄が「大東市長になる」と言い出し、そのまま当選してしまいました。必然、社長は退任となり三住建設は社長不在の会社となったのです。1年間は会長である父が代理で業務を担ってきましたが、さすがにそのままではまずいということで、古参社員の一人を社長にしようという案が持ち上がりました。三千子さんはその時、妙な違和感を覚えました。父が創業した会社を、他の社員が承継するのは違う気がして「お父さん、私が社長になる!」。その思いは即座に口を突いて出ました。

 

 

社員とのあつれき

入社してから15年が経過したころのことです。建築のことは全く分からずに入ったけれど、自分にできることを一生懸命やってきて、社員とも良好な関係を築き、楽しい事務職の日々を送ってきたと思っていました。「経理としてお金のことは私が握っている」、そんな自負まで感じていました。お金が回れば社長として経営できるはず、そう思い込んでいたのです。

 

ある大型案件の会議の時です。みんなの仕事が順調に行えるように事務手続きについて提案をしました。みんなにとって良い提案のはず、ところが反応がありません。皆、真顔で黙っています。その沈黙を破るように、一人の社員が立ち上がって言いました。「社長は現場のこと何も分からへんねんから黙っといて」。そのとき、全身が凍りついたと言います。今、何が起こったの?私、何か間違ったこと言った?その日の会議は目の前を言葉たちが素通りしていきました。その後も空回りが続き、トラブルが多発し、社員との溝は深くなる一方で、心が疲弊していきました。「うまくいかへんことばっかり。誰も認めてくれへん。やっぱり私に社長は無理やったんや」そんなつぶやきばかり考えてしまう自分に拍車をかけるように、一人の社員が辞めたいと言ってきました。信頼していたSくんでした。

誰もいない事務所で一人、何も手につかず、うなだれることしかできずにいました。「辞めるのは私やん」。そうつぶやいたら、一筋の涙が頬を流れました。

 

 

経営指針確立・実践セミナーと仲間

そのとき、LINEが鳴りました。誰やろ?あ、セミナーのグループライン。仲間の一人の悩み相談でした。社員のことで悩んでいるらしい、私も!と指がメッセージを打っていました。私の悩みも聞いて!そんな思いでスマホを見つめました。「有田さん落ち着いて、問題の本質は何やろね?」との仲間の言葉にはたと我に返りました。私一人じゃない、真剣に考えてくれる仲間がいると思ったその時、ふいに昔聞いた父の言葉が脳裏に浮かんだそうです。「何も心配せんでええ。誰もお前が社長できると思ってへんから」。聞いた時は何も思わなかったのですが、今ごろ優しく心に響くのです。「みんな私が建築のことわからないから、自分たちで会社を守ろうと覚悟してくれてたんや。それにも気づかず、私一人で気負ってたんや」。社員に対して感謝の気持ちがあふれました。「もっとみんなを頼ってええんや。社長は旗を振ってたらええんやって、旗って何?それが理念?」セミナー仲間も経営者。みんないろいろ悩んで今があります。そんな経営者仲間だからこそ大切なことを気付かせてくれる。今の私に必要なものは思いを明文化した理念なんだと思うことができました。「建築の知と技で人と地域の楽しい未来を創造します」。改めて考え直した理念ができました。

 

 

理念から生まれたビジョン

自信を取り戻した三千子さん。理念もでき、次はその理念を社員に浸透させねばなりません。社員が理念に向かって共に進んでいく会社にしたい、そんなビジョンを掲げて行ったのが朝礼でした。朝、顔を合わせるみんなの様子を直接見て、今日の予定を確認して、思いを伝えます。社長の思いに触発され、最初数名だった参加者が一人、二人と増えてきました。最終的に、変化に否定的だった古参社員も「頑張ってみる」と言ってくれたのです。会社変革の第一歩でした。

 

 

問題から生まれたビジョン

その後も「三住食堂」や「健康経営」と銘打ってさまざまなチャレンジをしました。私には経営者仲間がついている、社員もついている、社風も良くなってきた、社長としてやっていける、そんな喜びを噛み締めていました。

 

そんな折、定年を迎えるOさんに継続勤務の話をしたところ「辞めたい」という返答が返ってきました。なんで?65才はまだ若いし、ずっと楽しく働いてくれてたのに……。思わぬ展開にドキリとしました。また嫌な予感がして不安におそわれかけました。いけない、社長である私がしっかりしなくては。なぜなのか、理由をちゃんと確かめなくてはとはやる思いです。「2年前妻が亡くなったとき、会社がすごい忙しくて休まれへんかった。死に目に会われへんかったんです。二人で旅行がしたかった。あいつが行きたい言うてたところ、仕事辞めてからまわろうと思うんです」とOさん。

そんな思いをしていたなんて、何も気付いてあげられなかったのです。そんな大切なことを言うこともできない環境にしていたのだと、三千子さんは自責の思いで苦しくなったといいます。Oさんがこのまま辞めてしまったら、これまで働いてもらった恩返しもできません。「社員さんが自分で自分の人生を決められる会社にする!」という次のビジョンができました。

 

 

家族のことを考えた女性ならではのビジョン

三千子さんは社長就任後も母であり、主婦であり、妻でした。当たり前ですが、家族という構成員に所属したまま、社長を務めていました。つまり、子育てもして、家事もして、そして去年は実の母を介護の末見送りました。男女を区別しない見方が近年の風潮のようですが、女性ならではの家族の関わりは否めないし、それを悪いものだとは思わない、むしろ女性だからこその感性で家庭のことを考えつつ「キャリアを中断しなくていい世の中」にしたいと思いました。

同じようにキャリアを中断せずに頑張っている女性経営者が同友会にいます。思いを共有する彼女たちと一緒にビジョンの実現に取り組む新しい企画が誕生しました。

 

 

元日の震災を通して生まれたビジョン

2024年が明けてテレビから目に飛び込んできた震災の光景は非常に衝撃的なものでした。自然災害は逃れようがないけど、倒壊家屋によって奪われる命があることをまざまざと示されました。他人事にはできません。「建築家の仕事は人の命と財産を守ること」。父の言葉が蘇ってきました。心地良い住まいを建てるのみならず、安心を具体化した家づくりを今一度考える必要があると思っています。

 

(取材:山田、見浪 文:見浪 写真:山田)