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Osaka Doyu-Kai

vol.9

いにしえの奈良に通ずる交通の要衝、東大阪 ~エキスポ70で開発された内環外環が走る~

Profile

中河内ブロック/東大阪第三支部

(株)ベレーザコーポレーション

入江 孝吏

東大阪市といえば町工場やラグビーをイメージする方が多いかと思いますが、YouTubeで紹介されるぐらいマニアにとっては垂涎もの、興味ない人にはどうでもいい「道路」がいくつかあります。今回は、そんなすごい場所を中河内ブロック情報化・広報委員のメンバーで訪ねてみたいと思います。※ここで紹介する内容には諸説ありますことをご理解ください。

 

 

大阪府道2号大阪中央環状線

大阪府堺市から池田市にいたる主要地方道で「中環」という名前で知られております。1970年開催の大阪万博にあわせて整備され、大阪内環状線、大阪外環状線と共に半環状を形成しております。東大阪市を通る区間ですが、交通量は非常に多く日本で5位だそうです。車線数も上下合わせて18車線の場所があります。また、モノレールの用地も確保されているために道幅が非常に広く、金物団地付近の道幅が122mもあり、日本で一番道幅の広い場所といわれております。実際に尋ねてみましたが、普段から見慣れているせいか「ふ~ん」な感じでした。残念ながら、地元ではほとんど知られておりません。

中央環状線東大阪市金物団地付近

 

 

 

国道170号大阪外環状線

大阪府高槻市から泉佐野市にいたる一般国道で「外環」という名前で知られております。この国道は現在も存在する「東高野街道」に沿って1963年に整備が始まりました。その後、同じく大阪万博にあわせてバイパス道路が形成され、外環状の一部を構成しております。バイパス以前の旧道もそのまま国道指定されたままで、この付近では東西2本の170号が存在しております。ところで、国道というと立派な道路をイメージしがちですが、中には「落ちたら死ぬ」とか「車両離合困難」などの道があり、マニアの間では「酷道」と皮肉られております。そんな酷道の一つが東大阪市の170号線(旧道)にある「アーケード国道」です。日本では東大阪市と長崎市(国道324号)にしかありません。日中は人通りで混雑しているため、午前7時から午後8時まで自動車通行止めになっております。

東大阪市アーケード国道

 

 

 

国道308号暗越奈良街道

暗越奈良街道は、奈良時代に難波津と平城京を最短距離で結ぶ道として設置され、奈良街道、伊勢参宮街道の一つです。外国使節がこの道を通って平城京と行き来するなど、当時の政治や文化を支えてきたとされております。江戸時代には松尾芭蕉が最後の旅路でこの道を通っており「菊の香にくらがり登る節句かな」の句を詠んでおります。現在も当時のまま残っている区間があり、私の事務所の前をかつて松尾芭蕉が通ったと思うと感慨深いものがあります。

暗峠の石畳

この街道の東大阪市の生駒山のふもとから奈良市内までは国道308号に指定されておりますが、生駒山を最短で上る旧街道ですから、急坂すぎ、道幅狭すぎなどで全国的にもトップクラスの酷道っぷりを発揮しております。その中でも、最大傾斜度37%(100m進むと37m高くなる)は日本一の急坂国道といわれており、電動自転車メーカーの宣伝で使われているぐらいです。また、頂上の暗峠(くらがりとうげ)付近は江戸時代に敷設された石畳になっており、日本で唯一の「石畳国道」といわれております。私は以前、車やバイクで何度か通ったことがありましたが、今回初めて歩いてみて、乗り物では分からない、いにしえの姿を感じ取ることができました。芭蕉の句碑も二つあって、その経緯も面白かったです。

松尾芭蕉句碑(二つあるうちの古い方)

東大阪市の道、いかがでしたか?マニアック過ぎですか?まあ、一度行ってみてください。興味を持つこと間違いありません。ちなみに、暗峠は車やバイクで通行はできますが、全くお勧めはできません。車は対向車が来ると大変なことになるし、バイクだとこけますよ。

 

 

~ 広報委員からのひと言 ~

東に連なる生駒連峰を越える暗峠のトレッキング。今回の地域自慢は中河内ブロック広報委員会メンバーで現地調査をしていただきました。感激です。暗峠は商人たちが荷物を肩に担いで徒歩で通った道、バイクもこけると聞くとこれはもう山登りですね。面白いところをご紹介いただきました。ブロックごとに地域自慢を語っていただきますコラムです。今年もますますのご繁盛を。(編集西岡)