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Osaka Doyu-Kai

vol.4

大阪南ブロック特集: 「激動する変化に対応する企業」

企業やお店の安全づくりを担う看板屋

Profile

大阪南ブロック/かんくう支部/2022年度入会

三星広芸株式会社 代表取締役

利倉 康紀

所在地:大阪府泉大津市板原町4-16-14
URL:https://sanseikohgei.jp
創 業:1980年/設 立:1986年
資本金:1,000万円/社員数:5名
業務内容:各種看板デザイン・設計・製作・施工、内装工事、電気工事など

仕方なく入社した三星広芸

 利倉さんは、看板屋を営む家庭に生まれ育ちました。しかし、両親の世話になりたくないという理由で、高校卒業の目前、憧れだった大工の道に進もうと就職先を探しました。しかし思うように大工として就職できず、半ば「仕方ない」という思いで、三星広芸に入社。同時期に結婚し、程なく1児の親となりました。父親の会社に入社したとはいえ、厳格な父と「世話にはなりたくない」という利倉さんの思いから、決して甘えることなく懸命に技術を習得していきました。

 

 

大量離職からの改革

 順調に業績を伸ばしていった三星広芸ではありましたが、その多忙さと社長の叱り方に嫌気がさした社員さんが次々に離職していきました。社長は、約束を守らなかったり、報告・連絡・相談がなされずお客様に迷惑をかけたりなど、技術でのミスではなく、社会人としてのルールを守れない社員に対して厳しく叱ることが度々で、社長のことをよく思わない社員さんが出てきました。ついには「俺についてこられない人は辞めてくれたらいい」とたんかを切り一気に社員が減るという一大事に陥りました。そして、後継者として目をかけていた社員さんまでが退職。それにはさすがの社長もショックを隠しきれず、利倉さんに対し「お前は人を褒めるのが上手やから、現場は頼んだ」と第一線を退きました。利倉さんはまだ専務という立場でしたが、そこから社内の雰囲気を変えることに着手しました。まず、社員さんを大切にすること、そして、疲弊するほど手当たり次第受注するのではなく、三星広芸の技術力と誇りをもってできる仕事を主にすすめていきました。リーマン・ショックの影響を受け、仕事が激減することもありましたが、父親が誠実・丁寧な仕事を積み上げてきてくれたおかげで、なんとか生き延びてこられたといいます。

 

 

2018年 関西を直撃した台風の影響

 皆さんの記憶にも残っていると思いますが、空港連絡橋の事故で関西国際空港までも孤立させてしまった大型台風は、業界を翻弄しました。あちこちで看板が落下したり、今にも外れて大事故にもなりかねない看板の応急処置をしたり、ほとんど寝られない日々が続きました。その時に気づいたのが、自分たちは一つ間違えば人の命をも奪いかねない、とても責任の重い仕事をしているのだということでした。これを機に、ますます丁寧な仕事をすることを心がけるようになりました。

 

 

同友会での気付き

 利倉さんは和泉市青年会議所(JC)の理事長という大役を卒業後、JCの先輩からの紹介で同友会に入会しました。JC理事長時代は、その忙しさからほとんど社員さんと向き合うことなく、社員さんにも考える隙を与えないよう、自らすべての指示を出して作業をしてもらうというスタンスでやってきました。しかし、同友会入会直後に受講した経営指針確立・実践セミナーで学んだ「人を生かす経営」に、心が動かされました。これまでの姿勢を見直し、社員さんと目線を合わせ共に歩む企業をめざすと決め、社員さん一人ひとりとしっかり向き合うようになりました。すると、社員さんに少しずつ自主性が芽生え、今では自分自身はほとんど現場に出ることが必要ないぐらい、仕組みがしっかりとできてきました。

 

 

ただの看板屋では終わらない

 他社が嫌がる困難な仕事ほどやる気がでるという利倉さん。看板屋の域を超えた内容でも、お客様に寄り添い、お客様のお店や企業のこれからのためになる提案をすることが自社の使命だという思いで取り組んでいます。自他共に認める優しさと、どこにも負けない技術力で、これからも安全づくりを担う看板屋として発展し、私たちに刺激を与えてくれると期待しています。

 

(取材・文・写真:新家 写真提供:利倉)